Photo series of China’s abandoned wonderland in Chenzhuang village, outside of Beijing. A project started in 1998 that was supposed to be the largest theme park in Asia (via).
A pair of thorgum doors
Tibet
18th-19th c.
wood
29”x28” (combined)
(via okadadada)
(via konishiroku)
185:
クロアシネコ(チベット自治区):2012/12/25(火) 12:15:23.77 ID:9kQSdmC10
「私、英語喋れます。通訳ぐらいなら余裕でできます」
「ではTOEICや、英検の資格は?」
「いや、英語書けるし喋れますw 帰国子女だから」
「では資格は?」
「試しに通訳のテストしてみてくださいよ。外人呼んできてもいいです」
「では、資格は?」
「今から全部英語で喋りましょうか?英字新聞、翻訳しましょうか?」
「あの、資格は?」
「資格とかw 帰国子女だから。取る必要なく即戦力でこなせますw」
「英語の資格がないと不採用になります。お引き取りを」
197:
ヒョウ(愛媛県):2012/12/25(火) 12:36:09.81 ID:52x8ofFZ0
»185
アスペは帰れて事だろ
225:
キジ白(長崎県):2012/12/25(火) 13:50:59.36 ID:6ZxWd1mA0
»185
「資格はありませんが○年間、海外で生活した経験があります」って言えばいいのに
自分の能力を定量的に語れない可哀想な子のようだから、
せめて資格の有無で判断してあげようと言う、面接官の優しさを感じたわ
242:
スペインオオヤマネコ(大阪府):2012/12/25(火) 14:56:55.21 ID:ZxCUUFlf0
»185
この面接官の対応を支持してるのがまさにマニュアルに浸りきった人間
先程まで話していたドイツの友人からかなりショッキングな話を聞いた。
昨年ドイツの著作権協会GEMAがドイツベルリンのクラブやディスコ、ライブハウスでの楽曲使用料金の大幅値上げを発表したそうだ。なんとそれが今までの10倍との事。かなりの数のクラブ、ディスコ、ライブハウスが閉店に追い込まれそうだと彼は悲しんでいた。
そして昨日にはデジタルDJライセンス制度なるもの発表になったそうだ。
この制度はDJがデジタルコピーをした楽曲をプレーする場合1曲につき0.13ユーロのライセンス料を支払わなくていけないというものでCDRやハードディスクにコピーした全ての楽曲は元よりiTunesやBeatportから自身で購入したものやアーティスト自身からプロモーション用に譲渡を受けたものにまでこのライセンス料は発生するという事。
つまり自分のパソコンに1万曲入っているとしてこの状態でクラブ等でプレイすると約13万支払わなくてはいけなくなる。課金されるのはプレイした曲では無く持参しているCDR及びパソコンのハードディスク内の曲全部だとの事。さらに最悪なのは全てのDJはGEMAなどの著作権協会との契約が必要となり契約がなされていない場合には処罰の対象となるとの事。
この間ビル・ゲイツが来日して私と飯を食べたいと言ってきました。この人とは3回くらい飯をご一緒したけれども、面白くない人だし、あまり飯はうまくもな
いし、こっちは会いたくない。どうしても会いたいというので、会いたいならこっちへ来い、飯は御馳走されるほど貧乏していないからいらない、自民党本部に
くればうまいカレーライスを御馳走してやると、嘘八百を言って連れてきました。ビル・ゲイツは国会議員と役人を集めている前で、マイクロソフトのものをど
うしても使ってもらいたい、日本が行政手続オンライン化になったものですから、自分たちのシステムを使えというわけです。
それなのであなたのシステムを説明してくれといったら、彼は興奮して延々とやったわけですが、そこで一斉に参加者から質問が出たわけです。あまりのそのレ
ベルの高さに驚いて、「あなたたちは本当に国会議員か」と聞いたほどです。そのくらい自民党にはすごいのがいるんですが、その共通点はITは強いけれども
選挙には弱いというものです。選挙に強い方というのは総じてITの話はまったく駄目で、当選8回だ、60歳だなんていうのはもう全然駄目なんです。でも、
若い連中はどんどん質問するので、彼は興奮してもう1回やらせてくれと言った。その時、坂村教授とトロンを見に行くわけですが、本当にその場でひざをつい
て彼は組ませてくれと言うんです。これは10年前自分が圧力をかけて潰した会社だけれども、それがずっと地下で潜って、10年たって出てきた時には、IC
タグをぶら下げて出てきた。気がついてみたら、こんなものは今さら自分で開発するよりは組んだほうがいい。組みたいというけれども、マイクロソフトの真ん
中のところはブラックボックスになって見せないようになっている。それを開けるのが条件だと坂村教授をして言わせると、ビル・ゲイッは「開けます、だから
組ませてくれ」と言うわけです。
—麻生太郎 真昼の決闘 (via plus16hours)
(via konishiroku)
しかしそもそも派遣先のPCにVS2010がインストールされていなかったというのは、証明可能な客観的事実。これが本当なら、少なくとも「派遣先で開発した」という主張は崩せる。
自宅のPCで開発した可能性は残るが、これまで警察は派遣先で開発したと主張してきたのだから、警察はシナリオの組み立てなおしを迫られるはず。
ちきりん日記って初めて読んだんだけどさ。
何らかの事象に対し「だから今の日本はダメなんだ」というベクトルを付与して語るのが、とても上手いね。実態はただの感情論なのに、なんとなくそれっぽい用語を駆使されるから、好きな業界以外なら、コロッと騙されると思うわ。
—いいパチンコ by ボンペイ吉田 (via umedaerika)
(via hsmt)
(Source: cineraria)
■海賊FMラジオのこと
※この話は実話を元にしていますが、あくまでフィクションです。
当時は、勉強しながらよくラジオを聞いてた。友人たちがよく聴いていたのはAM放送のほうだったのだが、音質も悪くて、トーク主体の番組が多い気がしてどうも性に合わず、俺はもっぱらFM放送を聴いていた。
あの頃の大阪のFM放送といえば、5年前に開局した80.2MHzのFM802が斬新な放送スタイルで一大ムーブメントを形成しており、FMが流れている店は大体FM802にチューニングされているといった風潮だったが、洋楽主体とはいえ、基本的にチャートインするようなメジャーな楽曲ばかりを流す802は俺には物足りなかった。
なにしろその頃の俺はYMOを経て電気グルーヴを聴き始めた頃で「テクノ」と名のつく音楽に飢えていたからだ。
ネットもない時代。サブカルに半分足を突っ込んだ引っ込み思案の中学生には情報もないし、それを補う行動力もない。しょうがないのでCDレンタルで、とにかくそれっぽい音楽を、BUCK-TICKやカシオペアや姫神、ようするにシンセが使われている音楽ならなんでもいい、といったところまでストライクゾーンを広げて、片っ端から聴いて、なんか違うよなあ、と思いつつ、飢えをしのいでいた。
そんな時、周波数75MHz付近にラジオ放送欄に存在しない局が存在することに俺は気づいた。
音質はかなり悪く、兄から受け継いだ馬鹿でかいラジカセのアンテナを限界まで伸ばしてようやく視聴可能というその謎のラジオ局は、だいたい19時頃から受信可能になり、深夜3時頃にぶっつりと止まる、明らかに海賊ラジオ局なのだが、俺はすぐさまその局に夢中になった。
なにしろ、その局は、俺が全く聞いたことも無いようなレイブ系テクノばかりをCMもトークも無しにノンストップで延々と再生しつづけるという、まさに狂気のラジオだったからだ。
それからというもの、家に帰って飯を食うと、勉強と称してそのラジオを聞くのが日課になった。
そのうち、音楽の合間に海賊ラジオの主とおもわれる若い男のコメントが一瞬はさまれる事に気づいた。
彼は「○○MHz、バンブーラジオ」とだけボソリとつぶやくとすぐに次の曲をかけた。
バンブーラジオのレイブ系テクノの垂れ流し(いわゆる今は中古CD屋で100円以下で叩き売られているジュリアナ系コンピのようなノリと思ってもらえば良い)は、それほど当時の俺の嗜好に合っていたわけではなかったが、TUTAYAで借りたチックコリアよりはよっぽどテクノっぽかったし、中には心の琴線に触れるような名曲もあったのだ。
その度に俺は、この曲は何という曲なのか、どこに行けばこの曲が入ったCDを買えるのか、切実に知りたかったが、なにしろ曲名を読み上げもしないバンブーラジオなのだ。それを知ることはできなかった。
そんなある日、いつものようにバンブーラジオをかけると、珍しく人の声がした。おそらく生放送で、バンブーラジオ局の主とその友人とおもわれる若い男が二人で楽しそうに会話している。
「FM放送なんて簡単だって、日本橋でパーツ買ってきて、ちょっと改造したらええだけやん。3万もあればできるで」
みたいなことを言っていた。俺は、個人でFMラジオを開局するという、そのとんでもない発想に興奮し、乗り気でない友人に替わって、自分にその方法を教えてもらえないものか、とすら思った。
ダベリ放送は延々と続いていたが、日付が変わった頃、主が
「そうだ、リクエスト受け付けてみるか」
と言い、おそらく主の自宅の電話であろう、電話番号を読み上げた。
俺の胸は高なった。「同じテクノの好きな人間と話すチャンスかもしれない!」
電話番号をメモしたものの、しかし、実際に電話をかけるとなると、躊躇した。俺は無知なただの中学生で、しかも主のかける曲名、ましてやそのジャンルが何というのかすらまったくわからなかったからだ。(当時はディスコでかかるような曲、という程度の認識だった)
リクエストしようもないし、そもそも俺が知りたいのは、いつもかかる曲の曲名のほうなのだ。
そんな質問をするために自分が電話していいものか…さらに言うと、携帯もない時代に、固定電話のある真っ暗な居間に降りていって、見知らぬ、それも違法めいた事をしている男に電話をかけるというのも、何かすごく悪いことをするような感覚があった。もし電話しているところを厳しい母親に見つかったら、と想像すると、俺の興奮は急速に冷めていった。
正確には一回だけ鳴ったが無言電話だった。もちろん犯人は俺ではない。
そのうち、主とその友人も飽きてしまって、元のノンストップ放送に切り替えた。
残念な気もするが、まあ、また機会もあるだろう、俺はそう思って納得することにした
バンブーラジオはその後も放送を続けていたが、やがて、いつもの時間でも休止していることが多くなり、放送があっても、まったく関係ない、違う個人運営のラジオ放送(素人くさい女DJがJ-POPをトークの合間にかけるといったもの)を中継していることが多くなった。
季節は冬になろうとしていて、受験本番の日が近づきつつあった。
ある時、習慣でバンブーラジオにラジオを合わせると、聞き慣れたレイブテクノが聞こえた。
ああ復活したんだな、良かった。
と俺は思い、そのまま聴き続けたが、合間にいつも主がはさむ「○○MHz、バンブーラジオ」の名乗りに変化があった。
俺は驚愕して、眠い目をこすりながら放送を聴き続けた。深夜2:00頃だろうか、音楽がふいにフェードアウトし、主のボソボソ声に切り替わった
「最近忙しくて、ちゃんと放送ができなくて申し訳ない。この放送は、○○(大阪の地名)から放送してるんですが、なんかどうも電波が岸和田あたりまで届いてたらしいですね。どれぐらいの人が聴いてくれていたかは知りませんが、今までありがとうございました。」
「放送を辞めるのは、神戸に引っ越すからで、そこでも放送を続けるかは正直わかりません。やりたいとは思ってますけど、設備の問題もあるので。」
「ではそろそろお別れです。スイッチを切ったら、屋根のアンテナ外して、これでバンブーラジオは本当に終わりです。」
そして、数秒のブザーの後、放送は止まった。ヘッドフォンからはホワイトノイズが流れていた。
あの時、電話しとけば良かったなあと俺は少しさびしくなったが、実は、その時にはそれほど感慨はなかった。
なぜなら、俺は既に電気グルーヴのテクノ専門学校シリーズを手に入れて、自分の好きな音楽がクラブ系テクノミュージックというものであることを知ることができており、またテクノ専門学校のセールスがそれなりに良かったのか、ソニーミュージックの海外インディーズレーベルを中心としたリリースラッシュ(Apchex TwinやBlack Dog、デトロイトテクノ系アーティストなど)もあって、大きなCDショップに行けば、簡単に好きなテクノミュージックが手に入るようになりつつあった。
なので、好みの合わないレイブ系のラジオが終わっても、わりとどうでも良かったのだ。
それから1ヶ月もしないうちに、1.17 阪神・淡路大震災が起こった。
俺の家の被害はガスが止まったぐらいで大したことはなかったが、尼崎に住んでいた叔父一家が被災するなどして、大混乱だった。親戚全員の無事が確認された後、俺が真っ先に思い出したのは神戸に引っ越したバンブーラジオのことだ。
ラジオで読み上げられる無数の被災者の名前を聞きながら、俺はバンブーラジオの主の無事を祈ったが、もちろんそれを確かめる方法はなかった。
その後、志望校に合格し、春から始まる高校生活を前に、期待と不安で宙ぶらりんになっていた俺は夢を見た。
大阪の電気の街、日本橋に入学祝いのお金を握りしめて、FM放送のための機材を買いにいく夢だった。
何故か、ピエール瀧とバンブーラジオの主が同行してくれて、俺に色々とアドバイスをくれる。
棚に並べられた、無線機の列を眺めながら、俺はこれから始めるFM放送の構想にワクワクしている。
目が覚めた。そして、朝日の中、それが夢だとわかった時、本当の寂しさが襲ってきた。
俺の好きな音楽を一緒に楽しめる友人は、本当は一人もいないのだ。
中学の友達にAphexTwinのAmbient Worksを聞かせても曖昧な笑みを浮かべるだけなのだ。そんなわけのわからん音楽よりこれ聴けよ、と渡されたカセットテープにはボンジョビとミスターBIGが90分詰まっている。trfじゃないだけマシだけど、俺にはこの良さがさっぱりわからないのだ。
同じように、誰も、誰一人、AphexTwinの初期アンビエントの空気感や、カールクレイグの無機質なマシンドラムの良さなどわからない。
俺はどうしようもなく一人だった。そしてそれは、春から始まる進学校での高校生活でも同じだろう。いやもっとひどいかもしれない。
夢で訪れた日本橋の無線ショップに、俺は1週間前に実際に行っていた。自分もFM放送を始めればあるいは、と思ったのだ。
膨大な機材に圧倒され、マヌケにも「FM放送をしたい」と馬鹿正直に店員に告げた俺は、表情を一変させた店員に「それは犯罪だからね。帰ってくれる?」と追い出されたのだった。
幸いクラブ系ミュージックはその後、ファッションの文脈を得て一大ムーブメントを巻き起こした。送信機の代わりにシンセを買って宅録するようになっていた俺にもその手の友人が何人もできて、俺は一人ではなくなった。
ブームが終わって、俺が挫折して、シンセを全部売り払った今でも、彼らとの親交は続いている。
彼らとたまに昔話をする度に、俺はバンブーラジオを思い出す。向こうは俺のことなんて知らないだろうけど、今でも俺にとってバンブーラジオの主は、音楽を好きになって最初に出来た頼もしい先輩で、そして大切な友人だからだ。
皆がオフラインになった冬の夜、決してチューニングできないどこかの周波数で、あのアッパーでどうしようもなく頭の悪いレイブテクノが、あの時のままノンストップで流れ続けている。
俺は、まだそういう夢を見ている。
追記:海賊放送と書きましたが、バンブーラジオが本当に違法だったのか、実は知りません。でも電波が飛んでる範囲からして、当時のコミュニティFMに許された範囲は超えていたように思う。あと、念の為書いておきますが、この文章に違法行為を助長する意図はありません。不正電波ダメ・ゼッタイ。いい子は各種法律守ってネットでやりましょう。


